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2005 年
12 月
30 日 豊島の産廃問題が私たちに教えてくれたこと 〜会派視察報告・その2〜 |
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悪質な事業者が島の西端国立公園内に13年間にわたって有害産業廃棄物を野焼き、埋め立てていた豊島事件。1990年に兵庫県警の摘発によって操業が停止、事業者は逮捕され有罪判決が下されましたが有害物質を含んだ56万トンもの産廃が残されました。 住民が当初から不安を抱き、島をあげての反対運動をしていたにもかかわらず、産廃処理の許可を取り下げなかった香川県。その責任を問うべく、住民は産業廃棄物を撤去するよう公害調停を申請しました。2000年の最終合意では県が謝罪して産廃処理を行なうことを約束し、中坊弁護団長からは「これからは県への怨念を捨て、新たな気持ちですすもう」との提案が。現在も県と住民が月に1回、話し合いを持ちながら美しい島を取り戻すための努力を続けています。 12月には珍しい大しけ、という日に私たちは高松からマリンタクシーで現地へ。豊島の現場では産廃を直島へ運びだす作業が続けられていました。産廃を積んだコンテナダンプトラックはそのまま専用のフェリーで直島へ。焼却・溶融処理する中間処理施設の1日の処理量は300トン。年間180日の稼動で、すべてを処理するまで約10年の歳月と総額500億円を要するとのこと。大量生産・大量廃棄を続けることがいかに大きな負の遺産を残してしまうのか、豊島問題はその教訓を私たちに知らしめています。 なぜ豊島の現場に処理施設をつくらなかったのかを訊ねたところ、溶融施設は20年持つもの。10年で豊島の産廃処理を終えた後も稼動できるように、「エコタウン事業」として位置づけ、もともと精錬所のある直島の三菱マテリアルの敷地内につくったとのこと。 島の反対側には建築家・安藤忠雄さん設計の美術館やホテルがあり穏やかな美しい瀬戸内の風景がひろがります。その島に「エコタウン」と称する産廃処理施設がつくられ、豊島の処理が終わった後も他地域からの廃棄物を処理し続けるということには疑問も感じずにはいられませんが、私たちがごみを出す以上、廃棄物処理施設は必要なもの。人の暮らしの光と影を直島に見た思いで、「持続可能な発展」ということを改めて考えさせられました。 | ||
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